2013年以前のブックレビューも随時追加中

地政学の授業 茂木 誠(PHP研究所)

学校では教えてくれない地政学の授業

学校では教えてくれない地政学の授業

 

1.太平洋戦争から冷戦後のアメリ
(1)日本とアメリカが戦争した(太平洋戦争の)原因
 ①市場としての中国を日米で取り合ったから
 ②ただし、アメリカが日本に勝った4年後に中国は内戦で共産化し、市場(マーケット)として閉じてしまった
(2)太平洋戦争後のアメリカの中国戦略
 ①中国を囲い込みするためのベトナム戦争は失敗
 ②1972年のニクソン訪中でロシアから中国引き剥がしに成功
 ③その後、日本による中国の囲い込み価値は低下したため、沖縄は返還
 ④冷戦終結後も中国市場は高価値(人口14億人)だが、ロシアは低い(人口1.5億人しかいないため)
 ⑤現代も親中派(金融資本、民主党)と対中強硬派(軍需産業共和党)で意見が異なる

2.中国のランドパワー
(1)歴史上、本当の中国人(漢民族)の王朝は3つしかない(漢、宋、明)
 中国の歴史の大部分は、北方系民族(モンゴル、ロシア)支配(ランドパワー)の歴史
(2)孫氏の兵法も陸の戦い(ランドパワー)しか想定していない
 ①中国には小学校にプールもなく、泳ぐという文化がなかった(韓国も同じ)
 ②中国全土を取った元(フビライ・ハン)も海戦は苦手(実際は朝鮮の高麗が船で日本を攻めた)
(3)19世紀以降はシーパワー勢力との戦いに負け続ける
 ①アヘン戦争(イギリス、フランス)
 ②日清戦争
(4)20世紀以降もランドパワー(陸軍、農民重視)の共産支配継続
(5)ただしソ連崩壊後、北からのランドパワー脅威がなくなり、南へのシーパワーが始まった

3.江戸時代以降の日本
(1)朝鮮と日本の関係
 ①家康が朝鮮出兵した秀吉を滅ぼしてくれたから、徳川(江戸時代)は友好関係継続
 ②徳川を滅ぼした明治政府とは仲が悪くなる
 ③日清日露戦争で勝利した強い日本が怖いため、韓国併合(朝鮮国内で日本と合併賛成の運動が起こる)
 ④太平洋戦争(1942)に日本が募集した朝鮮からの志願兵25万人(朝鮮の若者が日本人になりたかった)
 ⑤北朝鮮ランドパワー(中国が怖いため核開発)、韓国がシーパワー(アメリカが怖い)で今も継続
(2)鎖国できた理由
 日本が弱くて殻にこもっていたのでなく、鉄砲を大量に輸入していて強かったため
(3)薩摩はシーパワー、長州はランドパワー
 薩長同盟以降の日本はその後、陸の中国と海のアメリカと戦ってしまう

4.ロシアの戦略(常に隣国の窮地の時、攻め込む)
(1)対中国
 アヘン戦争でイギリス、フランスに北京占領された時、1860年北京条約で沿海州奪取
(2)対日本
 ①太平洋戦争末期のヤルタ会談以降、長崎原爆投下後に千島列島、樺太占領
 ②ロシアの占領をアメリカも黙認(アメリカはロシアと日本が適度にもめ続けていて欲しいため)

5.地球温暖化オイルロード
(1)温暖化で北極の氷が溶けると、シベリア油田を北回りで日本は輸入できる
(2)中東、マラッカ海峡経由せずにオイル確保できるようになる

6.ウクライナ
 ヨーロッパのシーパワーとロシアのランドパワーの境界に位置する国

7.アラブの春とロシア
(1)アラブの春が起きた政権(チュニジアリビア、シリア、エジプト)は全て新ロシア政権
 →ただし政権崩壊後、アメリカ的な民主化自由主義)は失敗し、イスラム回帰(平等主義)しただけ
(2)サウジアラビアクウェートは独裁だが、親ロシアでないため、政権崩壊していない

8.イギリスのオフショア・バランシング
(1)島国イギリスにとっては、他のヨーロッパの国同士は常に争ってくれた方がいい
 ナポレオン、ヒトラーとヨーロッパがまとまると、イギリスに攻めてくるため不都合
(2)19世紀まではイギリスは世界にある植民地を動かして戦争していた(直接は戦争しない)
 →日英同盟後、日露戦争で日本はロシアに勝ったが、イギリスから見たら日本は植民地
(3)第二次大戦の失敗
 ①ドイツでなくソ連と同盟したが、ソ連が強くなり過ぎた(バランシング失敗)
 ②日本と戦った事で、アジア、インドの植民地が独立
 ③植民地もなくなったため、しょうがなくEUに参加
(4)ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊
 東西統合したドイツとロシアが仲良くなるのが、イギリスには不都合

9.イラクとシリア
(1)紛争原因は1916年のサイクス・ピコ協定イラクはイギリス、シリアはフランスで国境を決めた)
(2)解決方法は以前のオスマン・トルコ帝国に学び、国境でなく緩やかなアラブ帝国(連合体)にすること

10.イランとイスラム
(1)アラブ同様、イランを南北(南:イギリス、北:ロシア)に分ける密約があった(英露協商)
(2)イギリスが石油採掘後は、英米あやつりの独裁(パフレヴィー国王)
(3)1979年のイラン革命イスラム化(シーア派
 →シーア派居住エリアには、なぜか油田が多い
 (例:サウジアラビアスンニ派だが、油田のある所はシーア派居住)
(4)アメリカはスンニ派ISと直接戦いたくないため、シーア派イランの経済制裁解除
 →アメリカと仲が良かったサウジアラビアが孤立