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日本史の謎は「地形」で解ける 竹村 公太郎(PHP文庫)

 

日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)

日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)

 

1.関ヶ原勝利後、家康がすぐに江戸へ戻った理由

(1)早く利根川の治水工事したかったから
(2)新田開発(新たに土地を作る)できれば、戦国時代のゼロサムゲーム(土地の取り合い)から脱却できる

2.信長が比叡山延暦寺を焼き討ちした理由
 京都から見た鬼門(東北)の方角にある逢坂峠の向こうに比叡山があったから

3.頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由
(1)安全(遠浅の海で海から攻められにくい、山側は常緑樹が覆う)
(2)清潔(その頃の京都周辺はスラム化し疫病蔓延、鎌倉は清潔な利水)

4.元寇が失敗した理由
 日本の陸地が沖積平野(泥)で、モンゴルの騎馬軍団が進めなかった

5.半蔵門江戸城の正門
(1)五街道(東海、中山、奥州、日光、甲州)のうち、甲州街道だけが半蔵門から江戸城に直結していた
(2)新宿通りは尾根道で安全
(3)服部半蔵は家康の命の恩人のため、名前が残った

6.徳川家が吉良家を抹殺した理由
(1)1300年代から300年間、矢作川の優位者(利水、治水の優先権)が吉良家、劣位者が徳川家だった
(2)征夷大将軍世襲するため、家康以降100年間も朝廷との仲介役に吉良家が必要だった

7.吉原が日本橋付近から浅草へ移した理由
 荒川の治水のため作った日本堤のソフトインフラ戦略だった

8.江戸時代まで日本の運輸上最も重要なのは船(水上交通)

9.京都が都になった理由
(1)日本海(大陸文明の玄関)から太平洋(雪が少なく生活しやすい)を短く繋いでいる濃尾(岐阜)に近い
(2)日本海から太平洋を繋ぐ途中にある琵琶湖は、濃尾でなく西に向かって下っており、船で移動すると京都にたどり着く